ぷー太郎
2001年6月23日 俺はぷー太郎だ。社会的には認知され出したが、いささか居心地が悪い。
まず、最初にクレジットカードが作られない。これは大きな問題だ。海外放浪癖の俺としては信用に関る。日本では現金至上主義がまだ強いが、アメリカはその人が持つクレジットカードの種類によってその人の社会的地位と信用を量る。特に百ドル以上の買い物をした場合、百ドル札を何枚も渡すと身なりの汚い俺みたいな者はまず疑われる。店主はまずその金が偽札でないか疑う。次に「お前さん、どうしてこんな大金もってるんだよ」と聞かれる。世界の中心ニューヨークでも然り。しかもアメリカのネットバブル全盛期の1年前に言われたのだから。クレジットカードは一種の身分証明書なのだ。ほら、小説「アメリカンサイコ」でも主人公が名刺とかカードの名前をしきりに同僚や仲間に言ってたでしょ。
第二に、絶えず何か仕事をせねばと考える。将来の不安と言うやつです。一時的に職につくもののバイトという肩書きは、所詮、人間としてワンランク下です。世の中ではフリーターとして格好良く言われるが、実際、変てこな和製英語の単なる記号に過ぎません。実際はひどく窮屈な思いをせねばなりません。テレビでだめ連達を見ると、他人事には思えません。まあ俺なんかはやりたいことが沢山あって、それを実現しようと頑張っているからまだマシなんだけど、何も夢が無い人は多分、もっと不安に苛まれているのでしょう。
第三に、ネットビジネスのお誘いが来る。これは腹が立つと言った方が、いいね。だいたい、ネットビジネスのジプシーが沢山世の中にはいるらしくて、元々フリーターやったから、俺みたいなぷー太郎を嗅ぎ付けてくる(俺に言わせりゃあ、フリーター以下の哀れな人達だけどね)。そりゃあ、人間楽して大金持ちになりたいし、その上格好良い肩書き付きときたら飛びつくこともあろう。俺みたいに世の道理を心得ている者はだまされないけど。実際の所、ネズミなんだけどなあ。アップラインとかディストリ何とかの人達さあ、ええ加減やめてもらえないかな。このオナニー集団め!
この3つだな、ぷー太郎の俺がつらいのは。逆に言うと俺はそんなに不自由はしていないのかもしれない。男の夢があるからな。
それに今は下から上の方を見上げることも出来て、客観的に社会という物を見ていけるのは楽しい。実際、デパートでバイトしているのだが、社員ではなく、バイトの立場で商品に接していると、市場原理を主婦に近い感覚で見ることができる。最近株の読みが鋭くなった。買った銘柄が全部上昇するわけではないが、俺の平均株価は確実に上昇している。自分で証券会社立ち上げようかな…。自惚れ。安心は禁物だが最近これがおいしい。ぷーのくせに一人前に株をやっている俺は稀有な存在だろう。証券会社に簡単に口座は作ってもらえないけど、抜け道をうまく見つけて合法的にうまいことやっている。余裕のなせることなのか。ぷー太郎の方が個人予測が生々しくて、クールかもしれない。ぷー太郎にこそ株式をやることは、向いているのかもしれない。とか言っちゃったりして。
でも、俺みたいにやりたいことがあってぷー太郎している者は、夢に向かって頑張らなければいけないので、株もほどほどにしていかなあかん。あんまり熱中してしまうと、根拠もなく他人とは違う自分になりたい、サラリーマンじゃない生き方をしたいとか平気で思い込んでネズミやって友達なくす人達並になりそうで怖いですからね。
ぷー太郎は危うい存在であるなあ。でも、俺は強かなぷー太郎だなと最近思えてきた。
良い子のみんなー、あんまり真似しないようにね。真似しても、ぷー太郎はネットワークビジネスには手を出さないようにね。あなたの健康と友達をなくす恐れがあります。
今日も滅茶苦茶なコラムでした。
まず、最初にクレジットカードが作られない。これは大きな問題だ。海外放浪癖の俺としては信用に関る。日本では現金至上主義がまだ強いが、アメリカはその人が持つクレジットカードの種類によってその人の社会的地位と信用を量る。特に百ドル以上の買い物をした場合、百ドル札を何枚も渡すと身なりの汚い俺みたいな者はまず疑われる。店主はまずその金が偽札でないか疑う。次に「お前さん、どうしてこんな大金もってるんだよ」と聞かれる。世界の中心ニューヨークでも然り。しかもアメリカのネットバブル全盛期の1年前に言われたのだから。クレジットカードは一種の身分証明書なのだ。ほら、小説「アメリカンサイコ」でも主人公が名刺とかカードの名前をしきりに同僚や仲間に言ってたでしょ。
第二に、絶えず何か仕事をせねばと考える。将来の不安と言うやつです。一時的に職につくもののバイトという肩書きは、所詮、人間としてワンランク下です。世の中ではフリーターとして格好良く言われるが、実際、変てこな和製英語の単なる記号に過ぎません。実際はひどく窮屈な思いをせねばなりません。テレビでだめ連達を見ると、他人事には思えません。まあ俺なんかはやりたいことが沢山あって、それを実現しようと頑張っているからまだマシなんだけど、何も夢が無い人は多分、もっと不安に苛まれているのでしょう。
第三に、ネットビジネスのお誘いが来る。これは腹が立つと言った方が、いいね。だいたい、ネットビジネスのジプシーが沢山世の中にはいるらしくて、元々フリーターやったから、俺みたいなぷー太郎を嗅ぎ付けてくる(俺に言わせりゃあ、フリーター以下の哀れな人達だけどね)。そりゃあ、人間楽して大金持ちになりたいし、その上格好良い肩書き付きときたら飛びつくこともあろう。俺みたいに世の道理を心得ている者はだまされないけど。実際の所、ネズミなんだけどなあ。アップラインとかディストリ何とかの人達さあ、ええ加減やめてもらえないかな。このオナニー集団め!
この3つだな、ぷー太郎の俺がつらいのは。逆に言うと俺はそんなに不自由はしていないのかもしれない。男の夢があるからな。
それに今は下から上の方を見上げることも出来て、客観的に社会という物を見ていけるのは楽しい。実際、デパートでバイトしているのだが、社員ではなく、バイトの立場で商品に接していると、市場原理を主婦に近い感覚で見ることができる。最近株の読みが鋭くなった。買った銘柄が全部上昇するわけではないが、俺の平均株価は確実に上昇している。自分で証券会社立ち上げようかな…。自惚れ。安心は禁物だが最近これがおいしい。ぷーのくせに一人前に株をやっている俺は稀有な存在だろう。証券会社に簡単に口座は作ってもらえないけど、抜け道をうまく見つけて合法的にうまいことやっている。余裕のなせることなのか。ぷー太郎の方が個人予測が生々しくて、クールかもしれない。ぷー太郎にこそ株式をやることは、向いているのかもしれない。とか言っちゃったりして。
でも、俺みたいにやりたいことがあってぷー太郎している者は、夢に向かって頑張らなければいけないので、株もほどほどにしていかなあかん。あんまり熱中してしまうと、根拠もなく他人とは違う自分になりたい、サラリーマンじゃない生き方をしたいとか平気で思い込んでネズミやって友達なくす人達並になりそうで怖いですからね。
ぷー太郎は危うい存在であるなあ。でも、俺は強かなぷー太郎だなと最近思えてきた。
良い子のみんなー、あんまり真似しないようにね。真似しても、ぷー太郎はネットワークビジネスには手を出さないようにね。あなたの健康と友達をなくす恐れがあります。
今日も滅茶苦茶なコラムでした。
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第五回 イギー・ポップ
2001年6月22日 肉体改造に励もうといつ考えている。今バイトしている田舎の郊外のデパートもどきでアイディアグッズの催しをやっている。そこで、シェイプアップスライダーを発見した。最近、流行の腹筋運動器具であるが、なかなかの好評を博している器具の一つだ。テレビCMでよくやっている奴だ(女性モデルが四つんばいになってくねくねやってるのは、いろいろ想像しちゃって結構艶かしく思う。洗脳効果抜群だ。中学生並みのイメージとは怖いもんだ。)アブスレイドという9800円で販売しているものが一番有名で、シェイプアップスライダーは次に有名なものだろう。ニッセンでも3800円のもがある。シェイプアップスライダーは6800円は値段が安いが膝マットもついているのでお得だ。それに決めている。デパートで買うと社員さんに一言言えば、1割引にしてもらえるからな。
「人は何故、見事な腹筋に憧れるのだろうか?そんなボディを自宅で簡単にシェイプアップするのがこの器具、シェイプアップスライダーだ。わずか数分のエクササイズで憧れのボディが手に入る(ただし個人差があります)」。このフレイズに何度鼓動が高まっただろうか。そしてこれを購入して得られるだろう俺の肉体。そうだ!イギーポップを目指そう。なぜかって?一度、彼の50代のじじいの肉体を見てくれ。あの筋肉馬鹿は芸術です。とてもヤク中だったとは思えない。彼を一度フジロックフェスティバルで見た。彼は上半身裸で狂おしいほど、腰をひねり、そして客席ダイブや飛んだり跳ねたりの大活躍。アンプの上に乗り、スーパージャンプ。「骨折るぞー」の客の悲鳴ももろともせず、彼は少しよろめきながらもしっかりと全曲やりとうした。ラス・フォー・ライフ復活した男は、ミュージッククリップのダンスよりもさらに激しいダンスを行った。50代でパンクスやってられるのは単なる進歩のない御馬鹿か、天才だ。「俺はなぜ腹筋に憧れるのだろうか?」。そうだイギーポップになりたいからだ。あの筋ばった筋肉になれる日は近い。明日シェイプアップスライダーを買おう。
「人は何故、見事な腹筋に憧れるのだろうか?そんなボディを自宅で簡単にシェイプアップするのがこの器具、シェイプアップスライダーだ。わずか数分のエクササイズで憧れのボディが手に入る(ただし個人差があります)」。このフレイズに何度鼓動が高まっただろうか。そしてこれを購入して得られるだろう俺の肉体。そうだ!イギーポップを目指そう。なぜかって?一度、彼の50代のじじいの肉体を見てくれ。あの筋肉馬鹿は芸術です。とてもヤク中だったとは思えない。彼を一度フジロックフェスティバルで見た。彼は上半身裸で狂おしいほど、腰をひねり、そして客席ダイブや飛んだり跳ねたりの大活躍。アンプの上に乗り、スーパージャンプ。「骨折るぞー」の客の悲鳴ももろともせず、彼は少しよろめきながらもしっかりと全曲やりとうした。ラス・フォー・ライフ復活した男は、ミュージッククリップのダンスよりもさらに激しいダンスを行った。50代でパンクスやってられるのは単なる進歩のない御馬鹿か、天才だ。「俺はなぜ腹筋に憧れるのだろうか?」。そうだイギーポップになりたいからだ。あの筋ばった筋肉になれる日は近い。明日シェイプアップスライダーを買おう。
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第四回「ブランキー・ジェット・シティー」
2001年6月19日 ブランキー・ジェット・シティーが好きだ。俺は誰がなんと言おうとブランキー・ジェット・シティーのすべてを愛す。解散してもう一年以上経つが、未来永劫変わることがない。男として生まれたなら、必ず聴くべきだと思う。スペース・シャワーTVのCMでパフィーの亜美ちゃんもブランキーしかないと言っているではないか。
10代の時に、ブランキーと出会うことが一つの儀式であるような気がする。カラオケでグレイやラルク、ルナシーを歌ってる奴を俺は憐れむ。30代になった時、おっさん臭を漂わせた普通のおっさんになるはずだ。だが俺は違う。30代も精神的に変わらないまま、純粋に生きていけるだろう。ようはセンスがいいということだ。だいたい、ブランキーを聴いている奴で、しょぼい音楽を聴く奴はいない。ブランキー信奉者の椎名林檎の曲も普通のファンと違った感じで聴いている。フジロックにも必ず興味を持っている。そして、ファンにも不細工なおっかけはいない。俺みたいはったりも言える。
10年後、自分のCDアルバムの山をみても恥ずかしくないだろう。俺は高校生の時にハマーを買ってしまったことに後悔している。だからCDTVで常連になってるようなアーティストは聴かない。同じことを繰り返したくない。
ブランキーを聴いていたい。好きで好きでたまらない。その気持ちは解散一年経った今も変わらない。だから、このままの気持ちで一味違った中年になることはかく確実だ。俺様であることになんのためらいもない。年取らねぇーよ。ばーか。
10代の時に、ブランキーと出会うことが一つの儀式であるような気がする。カラオケでグレイやラルク、ルナシーを歌ってる奴を俺は憐れむ。30代になった時、おっさん臭を漂わせた普通のおっさんになるはずだ。だが俺は違う。30代も精神的に変わらないまま、純粋に生きていけるだろう。ようはセンスがいいということだ。だいたい、ブランキーを聴いている奴で、しょぼい音楽を聴く奴はいない。ブランキー信奉者の椎名林檎の曲も普通のファンと違った感じで聴いている。フジロックにも必ず興味を持っている。そして、ファンにも不細工なおっかけはいない。俺みたいはったりも言える。
10年後、自分のCDアルバムの山をみても恥ずかしくないだろう。俺は高校生の時にハマーを買ってしまったことに後悔している。だからCDTVで常連になってるようなアーティストは聴かない。同じことを繰り返したくない。
ブランキーを聴いていたい。好きで好きでたまらない。その気持ちは解散一年経った今も変わらない。だから、このままの気持ちで一味違った中年になることはかく確実だ。俺様であることになんのためらいもない。年取らねぇーよ。ばーか。
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第三回「ボストンクラブ」
2001年6月18日 全日本プロレスが土曜日のゴールデンタイムに放送されていた時、小学生の僕らの間ではプロレスごっこが流行った。この時の全日本の所属レスラーは今考えてもすごい。レスラーの割り振りはクラスの力関係で決まった。ガキ大将のHはスタン・ハンセン役(縄跳びを振り回す)、当然、肥満児Bはアブドューラ・ブッチャー(給食用のフォークを凶器として使用)、のっぽのRはジャイアント馬場(お約束としてこの人に攻撃されたら、どんなに闘いを有利に進めていても絶対に地に足をつけなければならない)、学級委員のKは鶴田、親父が以前、角界にいたという理由だけで天龍の役になったK(パワーボムは小学生の体力では無理だったので攻撃はラリアートオンリー)、そして俺は一番中の良い友達Sとロードウォーリーアーズを結成した。俺はSよりも容姿が良くなかったのでアニマル、Sはホークだった。まあ、それでも一時的に全日本のリングを荒らした無敵のタッグだ。役としてはおいしかった(テーマソングのブラックサバスの「アイアンマン」口ずさんで強い振りをした。彼らの得意の力技は何ひとつできなかった)。このようにクラスの男子全員にほぼレスラーが割り当てられた。
しかし、問題は、クラスに必ずいる虚弱体質児であるM。俺達はいろいろ彼にふさわしいレスラーを考えた。弱くて知名度のあるレスラーを。考えてみると、当時の全日本の中で、弱いレスラーは実力相応に小学生の間では知名度が低かった。それでMの役がなかなか決まりませんでした。百田(一応力道山の息子なんやけどぱっとしない)、白パンツの寺西(俺の伯母さんの同級生であったというだけで応援はしていたが、その上恐ろしく弱い。対ロード・ウォーリアーズ戦では試合開始数秒でホール負けしてしまったほど)など候補は挙がった。難航した役決め。だが、素晴らしい逸材が全日本に入団した。輪島である。誰でも出来そうなゴールデンアームボンバー、決め技の輪島スペシャルなどMにも簡単に出来てしかも恐ろしく弱い。彼は時代の流れにのって輪島として5年4組のリングに上がることになった。
休み時間には数々のデスマッチが行われた。ガキ大将Hは5年4組チャンピオンカーニバルでは手加減なしのウエスタンラリアート炸裂でいつも優勝していた。俺もSと一緒に数々のタッグベルトを獲得した。勿論、Mは勝ち星を挙げる絶好の鴨になった。俺達レスラーが新しい技を覚えると、必ず、物になる前に彼で実験した。小学生だから、難しい技はできない。きん肉まんで覚えたラーメンマンのキャメルクラッチ、スコーピオンデスロック、コブラツイスト、四の字固めぐらい精一杯であった。しかし中でも人気の技がボストンクラブであった。ある程度のダーメージを敵に与えることができ、しかも簡単である。見栄えもする。5年4組レスラーの最初に覚える技はボストンクラブであり、全員がボストンクラブを得意技とした。Mは毎試合、ボストンクラブをかけ続けられた。
ある日、事件が起きた。いつものようにMにボストンクラブをかけようとしたHが急に泣き出した。ガキ大将のHが涙を見せたことはなかった。Hはなんと肩を脱臼したのだ。ボストンクラブは敵の足を両脇が抱え込む技であるため相手が強くもがくと外れてしまうことがある。毎回書け続けられたMは、すでにボストンクラブに対してかなりの抵抗力を持つようになっており、そこで彼は体がえびぞりになる前に、両足を思いっきりばたつかせた。力づくで押さえ込もうとしたHは思わず力みすぎて肩が外れてしまったのだ。彼は2週間近く後遺症に悩まされ自慢の縄跳びも振り回せなくなってしまった。その後、彼はすっかり落ち込んでしまい、ガキ大将のプライドからハンセンのリングネームを返上した。Mはというとボストンクラブ外しを完璧にマスターし、また成長期が始まり体格的にも格段の成長をみせ、クラスでの地位を確実に上げていった。誰も輪島とは言わなくなった。その上、ボストンクラブを相手に技とかけさせるという余裕まで見せ始めた。ほかのレスラー達はプロレスの美学を守るため、最初は必ずボストンクラブをかけ、おのおの得意の決め技でMをホールするというパターンを貫こうとしたが、Mの悶える顔が余裕の薄い笑いに変わるだけだった。
人を馬鹿にしあがって!俺達はがき大将Hにリングネームを返上するんだったら、Mと引退試合をしようと提案した。Hは快く承諾した。Hは豪語した。「俺の改良型ボストンクラブでMをもう一度粉砕してやる」と。そして試合を向かえた。HはあくまでもボストンクラブでMからギブアップを奪おうと虎視眈々とMの足元を狙った。今思うと全日本の戦いのスタイルとは全然違っていた。しかし、そんな彼の攻撃に対してMはいきなり成長したボディーの力を最大に活用してドロップキックを彼の脳天に食らわせた。ガキ大将Hは足元に気を取られ全体が見えなくなっていたのだろう。そのまま彼はリングに沈んだ。一時的な記憶喪失になったのだろうか、Hは「ほぅすとふぉんくらふ」といって失禁した。
Hはリングネーム返上することに加え、ガキ大将の称号まで失ってしまった。この経験が大きな糧となったかは定かではないが、Mは虚弱体質を克服して高校生の時、空手の県チャンピオンになった。
俺はHの言葉、未だに覚えている。ボストンクラブが人生を変えてしまったのだといったら大袈裟だが。
しかし、問題は、クラスに必ずいる虚弱体質児であるM。俺達はいろいろ彼にふさわしいレスラーを考えた。弱くて知名度のあるレスラーを。考えてみると、当時の全日本の中で、弱いレスラーは実力相応に小学生の間では知名度が低かった。それでMの役がなかなか決まりませんでした。百田(一応力道山の息子なんやけどぱっとしない)、白パンツの寺西(俺の伯母さんの同級生であったというだけで応援はしていたが、その上恐ろしく弱い。対ロード・ウォーリアーズ戦では試合開始数秒でホール負けしてしまったほど)など候補は挙がった。難航した役決め。だが、素晴らしい逸材が全日本に入団した。輪島である。誰でも出来そうなゴールデンアームボンバー、決め技の輪島スペシャルなどMにも簡単に出来てしかも恐ろしく弱い。彼は時代の流れにのって輪島として5年4組のリングに上がることになった。
休み時間には数々のデスマッチが行われた。ガキ大将Hは5年4組チャンピオンカーニバルでは手加減なしのウエスタンラリアート炸裂でいつも優勝していた。俺もSと一緒に数々のタッグベルトを獲得した。勿論、Mは勝ち星を挙げる絶好の鴨になった。俺達レスラーが新しい技を覚えると、必ず、物になる前に彼で実験した。小学生だから、難しい技はできない。きん肉まんで覚えたラーメンマンのキャメルクラッチ、スコーピオンデスロック、コブラツイスト、四の字固めぐらい精一杯であった。しかし中でも人気の技がボストンクラブであった。ある程度のダーメージを敵に与えることができ、しかも簡単である。見栄えもする。5年4組レスラーの最初に覚える技はボストンクラブであり、全員がボストンクラブを得意技とした。Mは毎試合、ボストンクラブをかけ続けられた。
ある日、事件が起きた。いつものようにMにボストンクラブをかけようとしたHが急に泣き出した。ガキ大将のHが涙を見せたことはなかった。Hはなんと肩を脱臼したのだ。ボストンクラブは敵の足を両脇が抱え込む技であるため相手が強くもがくと外れてしまうことがある。毎回書け続けられたMは、すでにボストンクラブに対してかなりの抵抗力を持つようになっており、そこで彼は体がえびぞりになる前に、両足を思いっきりばたつかせた。力づくで押さえ込もうとしたHは思わず力みすぎて肩が外れてしまったのだ。彼は2週間近く後遺症に悩まされ自慢の縄跳びも振り回せなくなってしまった。その後、彼はすっかり落ち込んでしまい、ガキ大将のプライドからハンセンのリングネームを返上した。Mはというとボストンクラブ外しを完璧にマスターし、また成長期が始まり体格的にも格段の成長をみせ、クラスでの地位を確実に上げていった。誰も輪島とは言わなくなった。その上、ボストンクラブを相手に技とかけさせるという余裕まで見せ始めた。ほかのレスラー達はプロレスの美学を守るため、最初は必ずボストンクラブをかけ、おのおの得意の決め技でMをホールするというパターンを貫こうとしたが、Mの悶える顔が余裕の薄い笑いに変わるだけだった。
人を馬鹿にしあがって!俺達はがき大将Hにリングネームを返上するんだったら、Mと引退試合をしようと提案した。Hは快く承諾した。Hは豪語した。「俺の改良型ボストンクラブでMをもう一度粉砕してやる」と。そして試合を向かえた。HはあくまでもボストンクラブでMからギブアップを奪おうと虎視眈々とMの足元を狙った。今思うと全日本の戦いのスタイルとは全然違っていた。しかし、そんな彼の攻撃に対してMはいきなり成長したボディーの力を最大に活用してドロップキックを彼の脳天に食らわせた。ガキ大将Hは足元に気を取られ全体が見えなくなっていたのだろう。そのまま彼はリングに沈んだ。一時的な記憶喪失になったのだろうか、Hは「ほぅすとふぉんくらふ」といって失禁した。
Hはリングネーム返上することに加え、ガキ大将の称号まで失ってしまった。この経験が大きな糧となったかは定かではないが、Mは虚弱体質を克服して高校生の時、空手の県チャンピオンになった。
俺はHの言葉、未だに覚えている。ボストンクラブが人生を変えてしまったのだといったら大袈裟だが。
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第二回「ランボー」
2001年6月17日 以前住んでいたアパートの近くに、ランボー書店という本屋があった。品揃えは多くはなかったが、週刊誌や漫画誌を買うには不便のないくらいの書店であった。ランボー書店というとかなりインパクトがある名前ではあるが、本好きの文学青年であったであろう店主のことだから、アルチュール・ランボー1)からとったのだろうと思って気に留めなかった。つまり、このネーミングの由来がジョン・ランボー2)からあるなど、まったく考えなかった(仮にも予備校に通い浪人生活して勉強していますからね。プライドが許さないです)。
しかし、先日驚くべきことに気付いた。何気なく見ていたこの書店の看板「ランボー書店」の文字がどう見ても勢いある力強いスタイルであることに気が付いた。映画『ランボー』の浮き出るようなあのタイトルのスタイルとどう考えても同じなのだ。嬉しいような、悲しいような。
そこで問題となるのは店主がどんな気持ちでこの書店名を考えたかということである。人間にしろ、ペットにしろ名前には、名付け親の気持ちが込められるものである。ゴダイゴ3)も「ビューティフルネーム」中で、名前は親からの最高のプレゼントだとを唄っている。仮にも自分の夢をかけた食い扶持を稼ぐための書店である。面白半分に付けたとは考えにくい。そこで店主のその名前に込められた思いを考えてみた。確かにこれは店主の教養人としてのプライドでアルチュール・ランボーを意味しているだろう。ただ、そこには幼少の頃の苦労したであろう店主の思いも込められている。現在この本屋の経営者としての地位にあるのは本によって培った教養のおかげである。そこでジョン・ランボーの背中が哀しいのは無知なるゆえであると考えた店主は、彼が青春時代を戦場ではなく数々の本と出会っていたなら、俺同様、豊かな社会生活に溶け込めたはずだと思ったのだろう。そこでそんな若者達を作りたくないと教育人である店主の思いがこの看板の文字に表わされたのだろう。知識人の代表と哀しき無知の代表。二つの意味でランボーなのである。物事には両端がある。善と悪、男と女、天国と地獄。そんな深い意味を持つ店主の思いが満ち溢れた店名なのだと思う。読書は豊かな人生を作りあげる。
誠に勝手な推測である。
1) 1854〜91 フランスの詩人。マラルメ・ヴェルレーヌと並ぶ象徴はの詩人。ヴェルレーヌとはともに生活し深い影響を与えた(早い話、ホモ付き合い)。早熟の天才詩人。文学生活は短く放浪しまくった。作品は「イリュミナシオン」「地獄の季節」。
2) 生年不明。アメリカを代表する軍人。ベトナム戦争では数々の戦功をあげ何度も勲章を受けている。ベトナム戦争終結後、帰国するもののベトナム戦争の精神的後遺症により傷害事件を起こし服役。しかし、米軍のベトナム捕虜問題で再び極秘任務につくため釈放される。そこで多くの米軍捕虜を単身救出し再び勲章を受ける。しかしその後、ストリートファイターの賞金稼ぎとしてアジア各国を放浪。アフガニスタンの内戦ではレジスタンスとして解放に尽力した。冷戦終結後、消息は不明。「俺が国を愛したように、国も俺を愛して欲しい」という言葉はあまりにも有名。
3) 1970年代から1980年代の日本を代表するロックバンド。東京外語大学生であっただけに英詞の作詞や発音は秀逸。現在のメロコアバンドのお粗末な英詞の曲とは違い、明らかに人気、実力勝負充分のバンドであった。メンバーが逮捕大麻所持で逮捕され活動休止になるものの、近年再び紅白歌合戦に出場する。現在は主だった活動はしていない。リーダーは「思いっきりテレビ」などの人情派コメンテータとして好評を博している。曲「モンキーマジック」「銀河鉄道999」「ガンダーラ」「ホリー&ブライト」など
しかし、先日驚くべきことに気付いた。何気なく見ていたこの書店の看板「ランボー書店」の文字がどう見ても勢いある力強いスタイルであることに気が付いた。映画『ランボー』の浮き出るようなあのタイトルのスタイルとどう考えても同じなのだ。嬉しいような、悲しいような。
そこで問題となるのは店主がどんな気持ちでこの書店名を考えたかということである。人間にしろ、ペットにしろ名前には、名付け親の気持ちが込められるものである。ゴダイゴ3)も「ビューティフルネーム」中で、名前は親からの最高のプレゼントだとを唄っている。仮にも自分の夢をかけた食い扶持を稼ぐための書店である。面白半分に付けたとは考えにくい。そこで店主のその名前に込められた思いを考えてみた。確かにこれは店主の教養人としてのプライドでアルチュール・ランボーを意味しているだろう。ただ、そこには幼少の頃の苦労したであろう店主の思いも込められている。現在この本屋の経営者としての地位にあるのは本によって培った教養のおかげである。そこでジョン・ランボーの背中が哀しいのは無知なるゆえであると考えた店主は、彼が青春時代を戦場ではなく数々の本と出会っていたなら、俺同様、豊かな社会生活に溶け込めたはずだと思ったのだろう。そこでそんな若者達を作りたくないと教育人である店主の思いがこの看板の文字に表わされたのだろう。知識人の代表と哀しき無知の代表。二つの意味でランボーなのである。物事には両端がある。善と悪、男と女、天国と地獄。そんな深い意味を持つ店主の思いが満ち溢れた店名なのだと思う。読書は豊かな人生を作りあげる。
誠に勝手な推測である。
1) 1854〜91 フランスの詩人。マラルメ・ヴェルレーヌと並ぶ象徴はの詩人。ヴェルレーヌとはともに生活し深い影響を与えた(早い話、ホモ付き合い)。早熟の天才詩人。文学生活は短く放浪しまくった。作品は「イリュミナシオン」「地獄の季節」。
2) 生年不明。アメリカを代表する軍人。ベトナム戦争では数々の戦功をあげ何度も勲章を受けている。ベトナム戦争終結後、帰国するもののベトナム戦争の精神的後遺症により傷害事件を起こし服役。しかし、米軍のベトナム捕虜問題で再び極秘任務につくため釈放される。そこで多くの米軍捕虜を単身救出し再び勲章を受ける。しかしその後、ストリートファイターの賞金稼ぎとしてアジア各国を放浪。アフガニスタンの内戦ではレジスタンスとして解放に尽力した。冷戦終結後、消息は不明。「俺が国を愛したように、国も俺を愛して欲しい」という言葉はあまりにも有名。
3) 1970年代から1980年代の日本を代表するロックバンド。東京外語大学生であっただけに英詞の作詞や発音は秀逸。現在のメロコアバンドのお粗末な英詞の曲とは違い、明らかに人気、実力勝負充分のバンドであった。メンバーが逮捕大麻所持で逮捕され活動休止になるものの、近年再び紅白歌合戦に出場する。現在は主だった活動はしていない。リーダーは「思いっきりテレビ」などの人情派コメンテータとして好評を博している。曲「モンキーマジック」「銀河鉄道999」「ガンダーラ」「ホリー&ブライト」など
しりとりコラム開始!第一回「クレクレタコラ」
2001年6月16日 しりとりコラム。
今日から一つのキーワードを中心に書いていこうと思う。そのキーワードはしりとり形式で決定する予定。このような試みは、昔、かの偉大な人物中島らもさんが夕刊フジで行っていた。たしか文庫になって出版されているはず。はっきり言ってパクリで、試みとしてはなんの新鮮味もないものである。ようは思いつきです。どう展開していくかは本人もわからない。まあ、好きなことをつらつらと書き連ねていこうと思う。
初回なのでキーワードは「しりとり」としたいところだが、ベタすぎてやらない。初回は「く」から始まる。「クレクレタコラ」がお題である。
90年代に入って子供向け番組は洋の東西問わず不条理系が多い。ベタやけど、「テレタビーズ」なんかその代表だ。人形が怖い。とくに地黒の奴。よくわからん展開。去年ニューヨークを放浪してた時、子供が主題歌を唄って上機嫌で5番街をお母ちゃんと歩いていたのを見てその浸透力に驚いた。さすが世界の中心ニューヨーク。人種のサラダボールである。意味不明。そして最近では「ニクロディオン」という幼児番組専門チャンネルは不条理番組のオンパレードだ。俺のお気に入りは「アクションリーグ」である(観た事のない人は是非、スカパーを購入して観ることをお勧めする。元ジャリズムの渡辺の「バカドールシアター」の元ネタだと思う)が、先日そんな物、吹っ飛ぶようなお馬鹿幼児番組を発見した。
いつものように俺は深夜、スカパーのチャンネルをカチャカチャやっていたら「クレクレタコラ」という番組にヒットを目にした。なんか耳にまとわりついて離れないオープニング曲。「くれくれくれっ♪くれっぺ♪くりゃりか♪くりゃりんこ♪何でも欲しがるクレクレタコラ♪」。オープニングだけで主人公のタコラが何でも欲しがる巨大ダコだとわかる。何という簡潔さなんだろう。昔の子供向け番組ははっきりしていていいね。それにしてもなんて引かれる安易なネーミングなんだろう。これはやばいと直感した。
内容はというと、「タコラ」というぶっさいく極まりない生き物が森の住人の持ってる物を何でも欲しがり、泥棒行為を働くというもの。結局、最後はこの試みが失敗してしまって「だめりんこ」などナイスな決め台詞とナレーターで終わる。する方もされる方も全然進歩のないままワンパターンの話が毎回繰り返されるのである。
また、「クレクレタコラ」にはタコラの他にインパクトの強い仲間達?が沢山いる。必ず語尾に「うっふん」と「あっはーん」とつける森のみんなのあこがれ「モンロ」、タコラ以上に間抜けな相棒の「チョンボ」、ブタでいるだけむだなポリ公の「デブラ」、タコラを酢だこにして食べようと頭から酢を振りまいている「トロロ」など見た目に不気味なキャラが沢山出てくる。
そして、主人公のタコラの行動原理は言ったって簡単。「欲しい物はどんなことをしても奪え」である。時には自分の相棒なんか平気で裏切ったり、弓矢で攻撃したり、ポリさんの銃を奪って平気で発砲しまくったり、ある意味サイコな危ない奴である。よく毎回死人が出ないものだと感心する。
ちょっと考えるとドラえもん世界にも似ているが、幼児向け番組とはかなりかけ離れたブラックネタの宝庫である。リンチや処刑、半殺し、銃殺、万引き、傷害、殺人未遂、誘拐などの行為を明るくやってしまう。所々に音声の途切れる個所があるが、今では聞かれることのなくなった俗に言う放送禁止用語を連発していたのであろう。試しにインターネットを駆使しながら調べてみたら、この番組はフジテレビで1973年9月から約一年間あまり放送されていた番組であるとわかった。なるほど時代が時代やからこんな言葉が平気で出てくるのだなと変に納得した。ウェブ上ではかなり盛り上がっており、個人でホームページを作成して研究されている方が多数おられるようです。俺たちの親の世代が残してくれた偉大な遺産といえる。生まれる前の番組で、かつ地方出身者なので再放送もされず知らないまま育って悔しいぜ。俺もちょっと乗り遅れた感があるが、毎回楽しみに見守っていきたい。
「クレクレタコラ」はかの「サウスパーク」にも負けず劣らずの一品ですぞ。
今日から一つのキーワードを中心に書いていこうと思う。そのキーワードはしりとり形式で決定する予定。このような試みは、昔、かの偉大な人物中島らもさんが夕刊フジで行っていた。たしか文庫になって出版されているはず。はっきり言ってパクリで、試みとしてはなんの新鮮味もないものである。ようは思いつきです。どう展開していくかは本人もわからない。まあ、好きなことをつらつらと書き連ねていこうと思う。
初回なのでキーワードは「しりとり」としたいところだが、ベタすぎてやらない。初回は「く」から始まる。「クレクレタコラ」がお題である。
90年代に入って子供向け番組は洋の東西問わず不条理系が多い。ベタやけど、「テレタビーズ」なんかその代表だ。人形が怖い。とくに地黒の奴。よくわからん展開。去年ニューヨークを放浪してた時、子供が主題歌を唄って上機嫌で5番街をお母ちゃんと歩いていたのを見てその浸透力に驚いた。さすが世界の中心ニューヨーク。人種のサラダボールである。意味不明。そして最近では「ニクロディオン」という幼児番組専門チャンネルは不条理番組のオンパレードだ。俺のお気に入りは「アクションリーグ」である(観た事のない人は是非、スカパーを購入して観ることをお勧めする。元ジャリズムの渡辺の「バカドールシアター」の元ネタだと思う)が、先日そんな物、吹っ飛ぶようなお馬鹿幼児番組を発見した。
いつものように俺は深夜、スカパーのチャンネルをカチャカチャやっていたら「クレクレタコラ」という番組にヒットを目にした。なんか耳にまとわりついて離れないオープニング曲。「くれくれくれっ♪くれっぺ♪くりゃりか♪くりゃりんこ♪何でも欲しがるクレクレタコラ♪」。オープニングだけで主人公のタコラが何でも欲しがる巨大ダコだとわかる。何という簡潔さなんだろう。昔の子供向け番組ははっきりしていていいね。それにしてもなんて引かれる安易なネーミングなんだろう。これはやばいと直感した。
内容はというと、「タコラ」というぶっさいく極まりない生き物が森の住人の持ってる物を何でも欲しがり、泥棒行為を働くというもの。結局、最後はこの試みが失敗してしまって「だめりんこ」などナイスな決め台詞とナレーターで終わる。する方もされる方も全然進歩のないままワンパターンの話が毎回繰り返されるのである。
また、「クレクレタコラ」にはタコラの他にインパクトの強い仲間達?が沢山いる。必ず語尾に「うっふん」と「あっはーん」とつける森のみんなのあこがれ「モンロ」、タコラ以上に間抜けな相棒の「チョンボ」、ブタでいるだけむだなポリ公の「デブラ」、タコラを酢だこにして食べようと頭から酢を振りまいている「トロロ」など見た目に不気味なキャラが沢山出てくる。
そして、主人公のタコラの行動原理は言ったって簡単。「欲しい物はどんなことをしても奪え」である。時には自分の相棒なんか平気で裏切ったり、弓矢で攻撃したり、ポリさんの銃を奪って平気で発砲しまくったり、ある意味サイコな危ない奴である。よく毎回死人が出ないものだと感心する。
ちょっと考えるとドラえもん世界にも似ているが、幼児向け番組とはかなりかけ離れたブラックネタの宝庫である。リンチや処刑、半殺し、銃殺、万引き、傷害、殺人未遂、誘拐などの行為を明るくやってしまう。所々に音声の途切れる個所があるが、今では聞かれることのなくなった俗に言う放送禁止用語を連発していたのであろう。試しにインターネットを駆使しながら調べてみたら、この番組はフジテレビで1973年9月から約一年間あまり放送されていた番組であるとわかった。なるほど時代が時代やからこんな言葉が平気で出てくるのだなと変に納得した。ウェブ上ではかなり盛り上がっており、個人でホームページを作成して研究されている方が多数おられるようです。俺たちの親の世代が残してくれた偉大な遺産といえる。生まれる前の番組で、かつ地方出身者なので再放送もされず知らないまま育って悔しいぜ。俺もちょっと乗り遅れた感があるが、毎回楽しみに見守っていきたい。
「クレクレタコラ」はかの「サウスパーク」にも負けず劣らずの一品ですぞ。
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